私にとっての親の責任

 

久しぶりに、某局のディレクターさんから、メールが来ました。
空雅を何度か取材してくれた方で、数年来のお付き合いです。

マスコミ関連で、書きかけていたことを思い出しました。

「7月25日のブログ「世間の目ってそうなんだよね」に書いたこと。

そう言えば、週刊誌の記者さんとテレビの人に取材された時も、
確かに「自分を責めたりしませんでしたか?」と聞かれました。

ま、この話しはまた今度ね・・・で終わっていましたね。」

性同一性障害のお子さまを持つ、多くの親御さんは、ご自身を責めています。
そして、かわいそう、不幸、幸せになれない・・・と言います。
発達障害のお子さまを持つ、親御さんも共通の声を上げます。

私が、ちゃんと育てなかったから
私が、まともに産んであげなかったから
私の責任です

多分、取材された記者の方は、私も同じように自分を責め、
嘆き、悲しんでいると思われたのでしょうね。

性同一性障害の当事者として

「いいえ」と、返事をした途端、
記者の方は「え?」と短い声を上げました。

嘆き悲しみ自分を責めるという行為は、私にとって、
子供がかわいそうで、不幸で、まともじゃなくて、幸せではない」と
勝手に決めつけて、大声で子供に告知しているようなものでした。

これは、あくまでも私個人の考えですが、親がそう思って接することは、
自然に子供の心に、「自分はまともじゃなくて、かわいそうで幸せになれない」という気持ちを、
植え付けてしまうのではないかと考えていました。

私は、記者の方に、こう言ったんです。

「私は、子供の事をまともじゃないとか、かわいそうだと思ったことはありません。
確かに、たくさんのことを乗り越えなければなりませんが、それは不幸ではありません。
だから、私は自分のことを責めたことはないんです。
もし、空雅が自分が性同一性障害であることを理由に、下を向いて生きていくなら
 私は、そう育ててしまった自分を責めるかも知れません

記事として書かれたのは、
「こんなふうに産んでごめんねという母親が多いと思いますが
私はかわいそうだとも思いたくないし思われたくない。個性ですから。
この子がそれを悲観して暗く生きるようになったら、
そう言う育て方をした私の責任。堂々と生きていってほしい。」でした。

子供には、生きる力があります。
幸せになる力があります。
それを、心から信じて、応援していたいと思います。

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